奈良県五條市の人気観光地として知られており、まるで江戸時代にスリップしたかと思うような風情のある街並みが広がる「五條新町」。

実は、「五條新町」は松倉重政という人物が創設したと言われています。

そこで、松倉重政を深掘りしていき、五條新町との繋がりについて詳しく見ていきます。

さらに松倉重政に関わる観光スポットについてご紹介していきますので、奈良県や関西での旅行をお考えの方はぜひ参考になさってください。

奈良県「五條新町」を創設した「松倉重政」を深堀りしていこう!

まずは松倉重政とはどのような人物なのか、また松倉重政と奈良県の五條新町との繋がりについてご紹介していきます。

奈良県「五條新町」を創設した松倉重政とはどんな人物?

松倉重政は、天正2年(1574年)に生誕したとされており、戦国時代から江戸時代前期の大名でした。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでの功績が徳川家康に認められ、大名として大和の五条二見城主となります。

さらに、慶長20年(1615年)の大阪夏の陣にて戦いの功績が認められ、翌年元和2年(1616年)に肥前日野江4万3千石を与えられて移封しました。

その後、島原城を築城するために領民から過酷な搾取を行ったり、キリシタンや年貢を納めることができない領民たちに対して拷問や処刑などを行いますが、寛永7年(1630年)、キリシタンの根拠地であるルソン島に出兵しようとした矢先に急死したとされています。

奈良県五條市と松倉重政との繋がりとは

慶長5年(1600年)五条二見城主となった松倉重政は、奈良県五條の土地をわずか8年という短い期間で統治していきます。

同年、二見村と五條村の間に約700米のまっすぐに伸びた道を見つけ、道の両側に約100件ほどの商家を誘致し、新しく城下町「五條新町」を創設しました。

約100件の商家を誘致する際は「諸役免許」の免許状を新町の町人に公布することで商売を行いやすくし、商人が結集するように働きかけました。

※「諸役免許」とは税金免除の特権のことであり、その後町民自治のきっかけともなっています。

こうして奈良県五條が南和地域の中心として発展する基礎が築かれていきました。

松倉重政が奈良県五條に来てから約400年が経った平成20年(2008年)には、松倉重政の偉業を称えるために「新町松倉公園」にて顕彰碑が建立されました。

奈良県五條新町の松倉重政に関わる観光スポットご紹介!

次に、奈良県五條新町の創設に深く関わった、松倉重政に関わる観光スポットを2つご紹介します。

1.五條新町通り

五條新町通りは、まさに松倉重政が創設に深くかかわった場所の1つです。

五條新町通りには日本最古の民家である栗山家住宅など、多くの古民家が建ち並び、松倉重政が生きていた江戸時代を彷彿させるような景観と街並みが今も残っています。

五條新町通りは栗山家住宅以外にも、徒歩で行ける観光スポットが沢山あるため、奈良県五條市を訪れた際はぜひ一度散策してみてはいかがでしょうか。

2.新町松倉公園

新町松倉公園は、五條新町通りにある小さな公園です。

入り口には、五條新町を創設した松倉重政の偉業を称えるための石碑が建っています。

公園内にはベンチがいくつか設置されており、五條新町通りの散策途中に休憩することができるため、五條新町通りを訪れた方は一度立ち寄ってみてください。

松倉重政が築いた奈良県・五條新町で城下町を体感しよう!

今回は松倉重政と奈良県五條市の繋がりについてご紹介しました。

松倉重政と五條新町における歴史を知っておくことで、五條新町での観光がより深くお楽しみいただけます。

五條新町には他にも様々な歴史があるため、ぜひ色々調べた上で奈良県五條市での観光をお楽しみください。

五條新町についてより詳しく知りたい方はこちらの記事もご確認ください!

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